Doubtful conversation
「あの男」から課された任務が終わり、イノがレイヴンに会って一言、
「テメェ、ちょっと針治療しろ」
急なその言葉に、彼は首を大いにかしげて彼女に問う。
「……何故、わざわざ私が貴様を治療しなければならんのだ?」
「アァ? たかだか引きこもってるヤローが偉そうな口きくなよ。
自由に空間と時間を行き来できるアタシは忙しいの。ああん、アッチコッチにイッてるから、過労で倒れちゃったらどうしようっ。『あの御方』のお仕事にも響くわねぇ」
ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべつつ、イノがレイヴンに寄りかかる。
今すぐ突っ放して針で頭を貫きたい衝動に駆られるが、くっ、と何とかこらえ、とりあえずイノを引き剥がした。
「第一、私はそのような知識は持ち合わせていない。他を当たる事だな」
「それでアタシのオネガイをつっぱねるつもりか?
テメェの部屋にちょっとイタズラしようとした時、机の中に『シッショーでも分かる体の秘孔〜これで君もジョインジョイントキィ〜』っていうハウツー本があったんだよ」
「経緯はそれか……一体私の部屋で何をしようとした?」
「ちょっと机の中に触手型ギアを入れただけだ」
「それは悪戯という名のテロリズムだ」
「そんな些細なコトはいいんだよ。
で、とにかくその本があれば、簡単な針治療くらいはできるだろ? だからこうして頼んでんだよ」
「…………」
逡巡の沈黙がしばし続き――
「仕方がない。
だが、期待はするなよ。それと文句を言うのも無しだ。私は、針治療などした事が無いのだからな」
「ふふ、よろしく頼むわね」
イノはわざとらしいウィンクを飛ばし、レイヴンはその様子に吐く素振りを見せた。
時は少し移ろい、場面は変わって実験室。
普段ならば手術台となるべき寝台に寝そべり、イノは服を脱いでタオルを巻いていた。
一方レイヴンは針を洗うための消毒液を探しており、棚をがちゃがちゃと漁っている。
「そういえば、テメェなんでその本買ったんだ?」
ふと唐突に湧き出た疑問を、イノはレイヴンの背にぶつける。
彼は手の動きを淀ませる事なく、答えを彼女に返した。
「不死者とはいえ、私の体の構造は人間と同じであり、体の痛点もまた人間と同じ。という事だ。
という訳で、しばらくは人間が痛く感じる所を探して刺して喘いでいた」
「変態」
イノの罵倒に耳を貸さず、レイヴンは続けて熱く語る。
「中には、痛感神経を剥き出しにして、何かに触るだけで痛くなる醒鋭孔という素敵な効果のある技があったが、どういう訳か私にはできなかった」
「そんなことはいい。それより、まだ消毒液ないのかよ」
「催促するな。有情破顔拳を試されたいか?」
「できねぇだろ、このアミバ野郎が」
「……奥にあったな」
「無視かよ」
棚の奥に手を伸ばし、消毒液を取って容れ物に注ぎ、そこに針を何本か入れた。
充分ひたしてから、レイヴンは針を一本取り手術台に向かう。
「うつ伏せになっていろ。あと、タオルは脱げ」
「分かってるよ。ホラ、これでいいだろ」
指示通りにイノが動き、レイヴンは本を片手に針をイノに刺した。
「んっ……初めてにしては中々いいじゃない」
「誉めの言葉は結構だ。貴様の言葉は聞くだけで虫酸が走る」
「酷いわねぇ。こんなコトしてる仲じゃないの」
「一時的な事だっ。これが済んだら接触はしないと思え」
思わず声を荒げる。と同時に、二本目の針に思わず勢いがついて深く刺さったらしい。イノが怒り、こちらを睨む。
「テメェ、痛ぇじゃねえか! いきなり深く刺すなよ!」
「文句を言うなと誓っただろう。
それに、貴様は懇願した側だ。あまりうるさく言うなら止めても私は構わない」
「……まあいいっ。さっさと続けろ」
不機嫌になったイノに、レイヴンはため息を吐いて作業を続ける。
しかし針が刺さるごとに、イノは素直に恍惚として喘いでいた。
その様子に、自らは充足を得られないレイヴンは呆れと嫉妬の鼻息を鳴らして嫌味ったらしく疑問を浴びせかける。
「これしきの事で快楽を感じるのか? 随分と単純な輩だな」
「くっ……別にいいじゃねぇか……あっ……」
「反論するにも、ただ刺すだけで口が塞がれてしまうな。
どうした? もっと私を罵倒してみろ。その罵倒に値する奴が、貴様を今満たしている」
「うるせえっ! ムダ口叩いてるヒマあったら、もっとアタシに奉仕しな!」
「勘違いをしていないか? 私には止めるという選択肢がある。
私は絶対貴様に尽くすという事はない。そのように口が減らないならば、その選択肢を取る事は充分ありえる」
言いつつ、レイヴンがイノの体に刺さった針を回収する。
どうやら、今すぐに止めるらしい。それに気づいたイノはひきとめようと、猫をかぶった甘え声で嘆願した。
「――分かったわよ。
アタシ、長いこと寂しかったの。お陰で少し欲求不満になってるの。
だから……続けて?」
その言葉に、レイヴンの行動が止まり、長い逡巡の後――
「…………少しだけだ」
針をまた取った。
翌日。
あれから言葉とは裏腹に、長くイノに針治療をしていたレイヴンは、筋肉痛になった右腕に少し幸福を覚えながら廊下を歩いていた。
と、その時、向こうの廊下から歩く人影を見かける。
レイヴンは即座に頭を垂れ、会話できる程度の距離になった時、レイヴンが「あの男」に挨拶をする。
「――本日は如何でしょうか?」
「あ、ああ。そうだね。えーっと、まあ上々だ。色々と、上手く行っているよ」
レイヴンは平常通りの挨拶をするが、何故か「あの男」の様子がおかしい。
どこか落ち着きなく、レイヴンではなく虚空に視線を泳がせる。
しかし、あまり深く詮索しない方がいいと思い、自分からはその事を言わないようにしておく。
「それは私としても僥倖で御座います。
何かご不便がありましたら、すぐに私めに」
「分かっているよ。ま、まあ、そっちも、その……あまり働き過ぎるのは……」
やはり、何かおかしい。レイヴンが言うべきかと迷っている間に、「あの男」が過ぎ――
「そうだ。そ、その、レイヴン?」
「? 何でしょうか?」
相手から話しかけてきた。これには答えるべきだと口を開き、そしてその口は次の瞬間塞がらなかった。
「イノと、――仲良くなったみたいだね」
「えっ?」
「い、いや、ごめん。少し聞こえたんだ。けど、別に覗いてはいない。
しかし野暮だったかな? それだとしたら謝るよ。ごめん」
「……あの、もしもし?」
「まあ、いい。これでようやく共同の任務がスムーズに行えるようだね。
……ん、どうしたの? ああ、第三者からの干渉はあまり良くないかな。
じゃあ、この話題は今後控える事にするよ。じゃあ、失礼」
「…………?」
その言動をゆっくり咀嚼し、反芻し、嚥下する。
そして、思い当たる。昨日の事。
「まさか……」
「あの男」の言動の正体。それは、恐らく、史上最悪で盛大な誤解。
レイヴンはただでさえ青い顔を青くして、去っていった「あの男」を慌てて追いかけていった。