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闇に飲めるもの



 夜というのは、陽に当たらぬ者たちをステージへと招く裏舞台のようなものだ。
 コウモリは透明な闇を、凝り固まった黒に変異させながら飛び回り、羽虫は何故この時を選んだのか、闇を蝕む街の灯に群がる。
 そんな中、空っぽの道を鼻歌混じりに、大股で歩く人影があった。
 見かけからの年齢は、お世辞に言っても若いとは言えない。しかし老いぼれとも言えない、がっしりとした体格の男性だ。
 茶色い髪の前髪は、他者から見て左に流れをつくっていた。その髪と合わせの茶色の瞳は、片眼鏡から覗いている。
 アゴから揉み上げにかけての曲線と鼻の下には髭が生えていて、一本も出しゃばる毛がないことから手入れが行き届いているのが分かった。
 身につけた紳士服は濃緑だ。首を絞めるネクタイは赤く、しばらく視線を下ろすとそれが十字架の形をなしていると知れる。
 右肩に赤く短いマントをかけて夜風に揺らしながら、その男はとばりの降りていない店を探していた。
 しかし、時刻は深夜。いくら活気のいい酒場であろうと、多くの店からイビキ声が聞こえそうな時間帯である。明かりがあるのはせいぜい街灯のてっぺんからしかない。
 それでも男は目をちょろちょろ動かし、人がいそうな店を探す。すると一件、よくは見かけない店のドアから光が漏れている。
「おっと、」
 男は少し驚いた声を出して、その店へ近づいた。店のドアノブには「CLOSE」という小さな板がかけられていたが、ドアに埋めこまれたガラスから中を見れば客が一人いた。
 フード付きのゆったりとした黒いコートを着ている。背が低いと錯覚したが、猫背気味に腰を折ってカウンターに頭を近づかせているため実際にはそれより高いのだろう。
 酔いつぶれてカウンターに頭を突っ伏しているのかと思えば、そうでもない。アゴが触れない程度に頭の高度を保ち、そして顔を地面から垂直に立たせていた。
 その客の近くに一つのコップもなく、ただ「そこにいた」。酒場だというのに酒の一つも頼んでいないのか、酒を売る事を生業とする店の主人はイライラとした顔立ちと貧乏揺すりでその客にプレッシャーを与える。当人は、無視。
「……ほぉう」
 興味深げな声を出し、店の外で男は様子を見ていた。
 彼は、その奇妙な客がどうなるのか少しばかり気になったのだ。
 鋭い聴覚と視覚をより尖らせ、男はドアのガラスに腰をかがめる。
 店の中では、ついに何かが切れたのか主人が大声を出した。
「――ふざけるな! いつまでここにいるんだ!」
 客はようやく反応を示した。猫背からしっかりと腰を立たせると、主人をただただじっと見る。
「酒も料理も頼まずに、この店の中にいるのは営業妨害だ! こっちはとっとと店をたたみたいんだよ! 分かってるのか!?」
 客はそれでも動じず、じっと主人を見ている。
 その様子がさらに主人の火に油を注いだ。顔を真っ赤にさせ、その客の肩を揺さぶった。
「聞いてるのか!?」
 しかし、客は後ろに落ちかけたフードの端を握って深く下ろしただけだった。
 主人は表情を怒りに歪ませ、無礼者の顔を見ようと客のフードに手をかけた。そこで客は初めて口を開く。
「羽虫ごときが、鴉に逆らうか?」
 客は決して主人のように大声で叫んだわけではない。が、客の声には何かぞくりとしたものが含まれており、声に撫でられた主人は思わず顔を青ざめさせてこわばる手を本能的に引く。
「吝嗇がついた。帰るとする」
 そう言って客は踵を返し、ドアに向かう。主人の顔は今でも青ざめているが、睨みをきかせて「二度とくるな」と無言で主張した。
 カランカラン、という小気味良い鐘の音が鳴り、客は外に出て、そこでようやく一部始終を見ていた男の存在に気づく。
 男は初対面であるにも関わらず馴れ馴れしい笑顔を浮かべ、その客に向かってこう言った。
「やあ。このように夜遅くに出歩く者として、少々気になったのだが……。
 失敬だが、見ていたよ。――君は何故、店主を怒らせるほどあの店にいた?」
「…………」
 男の声も無視し、客は彼とは違うどこかへ行こうと足を運ばせようとする。
 男は客を追い、何メートルか距離を置いて話しかける。
「気分を害したかもしれんが、そう無下にするのも礼儀としてはなっていないだろう?
 私の名はスレイヤー。君は?」
「…………」
 男――スレイヤーの話しかけにも、客は無視の姿勢を崩さずに歩いていた。
 だが、今度スレイヤーが持ちかけた話題に、ようやく客は反応をしてみせた。
「頑として話さないか……。
 ――そうだ。私の知る店には、変わり者でも居させてくれる酒場がある。その中で、何か話してくれないか? あるいは、君がどのような者かによって、驕る事も考えるが……」
「…………」
「ふぅむ。それほど私を嫌うかね。
 まあ、いい。君が私を受け入れたくないのであれば、ここで引き下がるとしよう」
「――何処だ」
「む?」
 ようやく客の言葉が聞けたスレイヤーは、少しの嬉しさを持って聞き返す。
「何処だ、と言っている。……今、少し、公の場に居たい」
「ああ、そうか。それは良かった。
 ご案内しよう。君のお気に召すかは保証できんがね」


 ゴミがあちこちに落ちている裏路地の中に、その店はあった。
 その店は看板も出していないため、商売をする気なのかと疑問に思える。
 外と内とを隔てるドアの木の音がやけにきしみ、店の古さと手入れの悪さを顕していた。
 内装は、不気味なアンティーク品が雑多に並ぶ全体的に暗い色調。いるだけでも気が沈みそうな所であったが、客の入りは深夜であろうと上々だった。
 スレイヤーは傷だらけの丸テーブルの中から、二人がかけられるテーブルを探して、そこに客であった男を招き入れる。
 ちらちらと店の様子に目を配るその姿を見て、スレイヤーはポケットから出したパイプをふかした後、話す。
「ここが、気になるかね?
 ここは陽の光を当たれないような者たちが集う酒場だ。私が若いころにはよく通って、仕事の依頼を受けたりしたものだ。
 ――ああ、大丈夫。店主は口が堅い。その上、この店のルールは『口外するなかれ』だ。もし何か漏らしたりすれば、この店の常連が始末するというとても変わった店でね」
 饒舌になるスレイヤー。一方男は無言のままだ。
 二人のテーブルにふらりと訪れた店主は様子を無視し、スレイヤーに話しかけた。
「ご注文は?」
「ん? そうだな……今回も、いつものやつを。それで、君は?」
「酒は飲まない」
 切って捨てる男だが、スレイヤーはひょいと肩をすくめた後に店主に言った。
「この男にも、私と同じ物を頼む」
「分かりました」
 店主が引っこみ、視線を男に戻すと、男は少しの驚きと多めの嫌悪を表している。
「……何故頼んだ」
「それほど悪い物ではないよ、この店の酒は」
「悪いが、酒を飲んでも酔えないぞ」
「酔えなくとも、味が楽しめる」
「私は楽しめん」
「ほう。それは――」
「説得はいい」
 フードを下げ直し、男が素っ気なく言う。
 ふと、スレイヤーはそのフードを見て更に質問を重ねた。
「顔を隠す必要があるのかね?」
「少々、私は人とは変わっている」
「分かっているよ。
 しかし、ここもまた変わった場だ。別に、晒しても別段問題はないと思うな」
「…………」
 戸惑った後、男は辺りを注意深く見回し、警戒しながらフードを脱ぎ、
 その場が驚嘆した。
 男の白髪は長く、青白い胸元に届くほどだった。左目には銀色に輝く瞳があったが、右目はただ白い。
 最も注目を浴びたのは、彼の額と後頭部を貫き生えた、棘。
 金属のみが有する光沢を照るそれは、明らかに人体から生えるべき物ではなく、誰の目にも旗幟鮮明に金属だと分かる。しかし、そのような異物に頭を貫かれて尚、この男は生きている――。
 周囲から注がれる好奇と畏怖の視線に耐えかねたのか、男はまたフードをかぶり、先程より不機嫌にスレイヤーに向いて反応をうかがった。
 一方のスレイヤーは、空を泳ぐ魚を追うように視線をうろうろ天井のシミにつたわせていたが、やがて思考がまとまるとパイプに新しい草を詰めて男に問いかける。
「……あー、もしかしたら間違っているかもしれんが……。君、もしや、頭を貫かれているのかね? いや、何なら一角獣か、何か?」
「前者の方が正答だ」
「貫かれて……生きている?」
「そうだ。私は、死なない」
 答える男。
 スレイヤーはしげしげとフードに隠れてしまった針を見ていたが、店主がやってきた事を悟ればそちらに向いた。
 店主は無言で二人の前に酒のグラスを置く。その置くというわずかな動作の間に彼は男のフードを見つめていたが、男の威圧が高まると慌てて去っていく。
 スレイヤーはグラスを手に取り、男にもグラスを持たせた。そして男のグラスへ自分のグラスを運ぶ。
「乾杯としよう」
 彼は男のグラスをかちんと揺らし、自分の手の中にあるそれを乾す。
「うむ、この味だ」納得したように首肯し、スレイヤーはしばらくグラスの中の氷を見ていた。
「君……死なないと言っていたな? だとすれば、私もそのような者を知っているよ」
 その言葉にぴくりと男が震え、そして棘を覗かせない程度に顔を上げた。
「私と同じ者だと?」
「ああ。シャロンという、私の妻だ」
「ほう……」
 男はやっと良い方向での反応を示した。
 男はグラスを少し飲り、フードの陰りの中で口を曲げた。どうやら口に合わなかったらしい。
 しかし男はそれを無くすように口を拭うと、スレイヤーに顔を向けて言う。
「永く在り続けてはいるが、間接的といえども同胞を知る事は無かった。それで、その女はどうだ?」
「体質以外は普通の女性と見ていいだろう。献身的で、中々に別嬪だ」
「自慢はいい。その女は、私達が死ぬ方法を知っているか?」
「多分知らんだろう。
 第一、彼女は死ぬ事をあまり体験しないのでね。私に襲われて始めて不死だと気づいたらしい」
「それで、女もまた、この身を嘆いた事があるか?」
「いいや、少なくとも私の前ではな」
「…………」
 未だグラスに残る透んだ酒と氷を見つめ、男は汚物を吐くようにつぶやいた。
「私は……この身を憎んでいる。
 いくら刃に斬られようが、炎に灼かれようが、潰されようが絞められようが、死なないこの身を。
 若い頃は、『不死』である事に浮かれていた。だが、あらゆる事に手を出し、あらゆる事に飽きて、初めて『不死』が牢獄のようにつまらない物だと気づいた。
 その絶望たるや、貴様は知らないだろう」
「今の所は知らんな。私は今でも、人間を見ていて飽きないと思うよ」
「いずれ飽きる」
「その時はその時だ。強者に杭を打たれて死ぬとしよう」
 飄々とよけるスレイヤーに、男は嫌味を存分に含ませ、言葉を当てた。
「……貴様が羨ましい。
 私のように永く飽く生きるのではなく、己のままに生きれるか。何とも素晴らしい生き方だな」
「褒め言葉と受け取っておこう」
 残り少ない酒を一気に乾して、スレイヤーは店主に御代わりを要求する。
 店主はすぐにグラスに酒を注ぎ、彼は手を上げて感謝の念を示した。
 グラスには口をつけず、男をひたと見据えながら彼が説いた。
「しかしだな、存在する者は全て虚無へと還る。
 いずれ君にも滅びがやって来るだろう。傲る者が永く続いた事例は無いよ」
「それは最初、私も思った。
 だが、他の者は死を望まずとも死を迎えるというのに、何故死を渇望する私が死を永らく得られない?」
「あるいは、君は死を望んでいないかもしれん」
「何?」
 彼の刺々しい雰囲気から棘すら抜け落ち、不快も何もまとっていない。
 呆気に取られてただただほうける彼に、スレイヤーが言葉を続ける。
「生きている者なら誰しも、生き抜こうとする本能がある。
 首に縄を巻こうが刃を突こうが、必ずその手には悔いがある。
 情死を謀る愚かで美しい恋人たちの一方が、相手を殺し自分も殺そうとしても、殺し切れないのはその為だよ」
「そうだろうな、他の者達は。だが私は違う」
「君とどう違うかね?」
「そんな事も分からないのか?
 私は、数えるのも嫌になるくらい齢を重ねている。そんな青二才どもと比べるのは、全く定規が違う」
「時が人を変えるのは、私でも知っているよ。
 だが、時で人が人以外に変わる事はない。根本を辿れば、君も、その青二才と全く変わりはない。
 生きたい。その原因は、幸せを手放したくないからだ。そして、その幸せの原因は多岐に渡る。
 遊ぶ。酒を飲む。多くを知る。快楽を感じる。愛す。愛される。あらゆる原因があるだろう。
 ――君は、原因に心当たりはないかね?」
 男は、全くの無表情を努めていた。が、その内面には不快さが見て取れる。
「無い」
 断言する。
 スレイヤーはやれやれと肩をすくめ、味がなくなってきたパイプの煙草を詰め替えた。
 それからマッチも擦らずパチンッ、と指を鳴らすと、パイプは独りでに火を灯す。
 彼が煙混じりの言葉を紡ぐ。
「時に言葉とは、自分の心を裏切るものだ。
 私には、その言葉が君を裏切ってるように思える」
「……『目を見れば分かる』、とでも言うのか?」
「瞳で心が分かるようであれば、意思疎通に不自由な言葉など生まれんよ。
 言葉が嘘であれば、普通とは無意識に違う行動を取る。――震えていたよ」
 鳴らした指で男を指し、スレイヤーが更に言う。
「正直になって何の害があろう? むしろ、我慢する事は心身に悪い。
 それで、一体君は、今何が幸せかね?」
「…………」
 沈黙。
 それは、無視や忍耐などの後ろ向きな沈黙ではない。
 男は目を伏せ、貫かれた頭を巡らせていた。
 処理の沈黙。
『無い』と言う刹那ほど前に、思い出した事。
 それの否定を何度も繰り返そうとも、何度も思い出される事。
「…………」
 認め難い事を、口に出すか否か迷い、その困惑に口出しせずにスレイヤーは待っていた。
 パイプの煙が二人を包むように蔓延し、耳に沈黙が詰められる。
 フードの陰りの中、口腔の闇が開かれた。
「――すみません、ここに私の夫はいませんでしょうか?」
 その言葉は、背後から聞こえた。
 男は開いた口を閉じ、スレイヤーは彼に無言の断りを入れてからそちらへ向く。
 そこに、目に馴染みのある姿が映し出された。
「シャロン、一体何の用だね?」
 シャロンと呼ばれた赤い服の女は、少し膨れっ面で返答する。
「いつまで経っても、貴方が帰ってこないんですもの……。妻なら、誰だって心配します」
「それは、すまないな。それで、どうしてここだと分かったのかね?」
「長年そばにいる人なら、どこにいるかなんて見当がつきますよ」
「ああ、そうか。――心配させてすまんな、シャロン」
「言うのが遅いですよ。でも、ありがとう。あなた」
 和やかな雰囲気が二人を包み、蚊帳の外にいる男は何とも言い難い目でその様子を見ていた。
 その視線に気づいたのか、シャロンは彼に向くと、裏のない質問をかける。
「あなたは、誰ですか?」
「…………」
 答える気配は表れず、スレイヤーは彼の代わりに彼女に紹介した。
「少しばかり、私の酒と話に付き合わせた者だ」
「あら、そうでしたか。――ごめんなさいね、こんな夜分遅くまで付き合わせてしまって」
 シャロンは男に向かって軽くお辞儀をしてから、スレイヤーの手を取り無理矢理立たせた。酔いが回っているため少し足元がおぼつかなかったが、彼女の手を頼りに立ち上がる。
「いやぁ、自分から誘っておいてすまんが、私はここでお暇するよ」
 右手を上げて別れの挨拶をすると、スレイヤーは金を置いて店のドアへ向かう。
「――ああ、そうそう」
 スレイヤーはドアの直前で立ち止まり、彼の背を追っていたシャロンに顔を向けて、男にも聞こえるように訊いた。
「シャロン。君は……、幸せかね?」
 質問を投げかけられた彼女は、即座に答えの質問を返す。
「『人間』なら、誰だって好きな人と一緒にいられることは幸せでしょう?」
 スレイヤーは穏やかに微笑み、二人はドアへと消えた。
「…………」
 一人残された男は居ずまいを正した。
 戯れに金を数えると、頼んだ酒の額よりも随分と多い。
 礼のつもりか、と、どうとも言えないため息を吐き、男は頬杖をついて目を虚空に這わせた。
 が、虚空は突如として形となる。
 天井付近から赤いブーツが形成した、と思えば重力に従うかのように姿が引きずり下ろされる。
 白い肌赤いスカート白い胸元赤い服赤い唇七色の瞳黒い髪赤い帽子、と、目が理解するより早くその姿を展開し、周囲が棘を見たかのように唖然とする中で、彼女は男を見て、一言、
「レイヴン」
 とだけ吐き棄てる。
「……何故、ここに来た?」
「テメェ、遅ぇんだよ」
 口から呆れた息を吐き、彼女はレイヴンに言い募らせた。
「あまりに遅ぇモンだから、ついにくたばったかと思って期待してみりゃこれだよ」
「それは、済まなかった」
「なんだよ。謝るなんざ気持ち悪ぃな」
「……そうだな」
 不自然な自分自身に呆れながら、レイヴンはイスから立ち上がる。
 フードを深く下ろし、イノに向いて彼が問いた。
「準備はいいか?」
「とっくに済ませちまったぜ」
「そうか。なら、行くぞ」
 そして、スレイヤーたちが消えて行ったドアへと直進する。
 彼は、彼女の見えないフードの内で、無自覚に穏やかな笑みを浮かべていた。



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